体験談 / さくら

父親の暴力と幸せな夫婦関係

暴力的だった父親の介護をしている今

こんにちは、Funスタ協会のさくらです。
今回も、私が大人になってから暴力を受けた父親との関係性が、自分の生き方にどのように影響を与え、あるコーチと出会ったことによってどう乗り越えていったのか。
その後、夫婦関係にどんな影響を与えたのか、ということをざっくりですが書いていけたらいいなと思います!

先日のブログでは幼少期、私が母親から受けた虐待の話を書きました。
詳しくはこちらです ⇒親からの虐待と夫婦関係


今回はその後のお話になります。

父親の暴力

中学時代は家族と離れ祖父母と暮らしたので、父母のいる家に戻った高校生の後半くらいから、父親の暴力が始まりました。

青アザができるくらいの力で殴るので、当然痛いんです。
やり返しても逆上するだけなので、黙って殴られます。

父親を怒らせないようにめちゃくちゃ気を使って生活していたなぁ〜、と記憶しています。
そんな生活は、私が22歳になるまで続きました。

ある日、お酒に酔った父親はいつものように母親を罵倒し始めます。

この時弟はどこにいた…?
思い出してみると、弟は父親を避けるため深夜のバイトをしていました。  

見かねた私が止めに入ると、矛先は私に向かいます。
この時が最後でしたが、「ボコボコにされた」という表現がぴったりだったなぁと思います。

止めに入った母親のことを、父親は罵倒はするけれど殴ることは一度もなかったです。

そうなんです。



幼少期は母親から
大きくなったら父親から
なぜだか殴られる対象は私だけでした。


父親が出ていく

私を殴り倒したこの日、父親は家を出ていきました。

この時の、母親と、私と、弟の心はなんとも言えなかったことも、うっすら記憶に残っています。
なぜならば、嬉しいとか悲しいとかではなく


ホッとした、の気持ちが強かったです。

ここから家族は3人になりましたが、穏やかな時間が過ぎていきました。

その後、私は結婚をして家を出ます。

前回書いた通り、夫婦関係が良くなかった時期がありまして。
ちょうどその時期なんですけど、、、、



ある日、事件が起きます。

今から10年前、警察から父親が病院に運ばれた、と私に電話がありました。

社会問題にもなっている、「孤独死」寸前でした。

この電話が警察から来たときに、母親も一緒にいました。
誰かが父親の身元引受人をしなければなりません。

母親は「放っておけばいい」と言いました。
弟も「俺は知らん、放っておけ」
父親の弟と妹も「行きたくない」

この時の私の気持ちが、後々私を苦しめることになるんですけど


この時は「私が行かなきゃ!」って思いましたね〜(-_-;)

病院から父親の住んでいた部屋へ連れて帰った時の、私の驚きの気持ちは今でもハッキリ覚えています。

完全に、絵に描いた、漫画みたいな、ゴミ屋敷だったんです。

そしてここが最も大切なんですけど

この時、


私は夫に「頼って」いないんです。。。



拒否をした母親や弟はともかく

夫には頼んでもいない。聞いてもいない。


そんな状態の夫婦関係でした。

全部、一人で抱えていることにすらも気が付かず、頑張り続けていた時期でした。

まるで、頼ったら心が折れてしまうような恐怖すら持っていました。

ここから、ゴミ屋敷の片付けと、寝たきりの父親の介護が始まりました。
一人ぼっちだった父親は、子供のように甘えてきます。

長年「父親に必要とされていない」と感じていた私は、


必要とされていると感じて嬉しかったのです。



そう…そうなんです…。
不安になった父親が夜中に電話があれば、話を聞きます。
時にはすぐに会いに行きます。

「テレビのリモコンがない…」と言いたいだけの電話だったりするんです。

そんな父との関係性が、数ヶ月続きました。

そのうち私は、とある男性コーチと出会います。

あるコーチとの出会い

この頃の私は、父親のことで頭がいっぱいです。


何もかも「私が頑張らなきゃ」と、奮い立たせていました。


ゴミ屋敷の掃除、大型家具の解体、寝たきりの父親の介護、

全てにおいて「私がやらなきゃ」でした。


そんな状態なので、心が疲れていました。

そんな時、友人に誘われて自分と向き合う講座に参加したのですがここで、コーチとの出会いがあります。

この時の私は「コーチ」という言葉すら知らずカウンセラーのような存在だろうと思っていました。
しかし、あまりにも心が疲れていたので、個人相談をお願いしました。

このコーチは、とにかく私の話を聞いてくれました。


「うん、うん」
「わかるよ」
「大変だったね」
「頑張ったね」


そのうちに、泣きながら話していました。
このコーチはほとんど何も言いません。
ただひたすらに、私の話を聞いてくれました。


一通り話し終えたとき、コーチが言ったんです。

「あなたとお父さんは、お互いに依存し合っているんだよ」

ここで余談になるのですが、、、、ちょっと脱線します。

相談したコーチは、はっきりとこう言い切りました。
しかし…
このように「言い切る」ことで、私はさらにこのコーチに「依存」が始まってしまうのです。

自分でも気づかないうちに、依存って始まるんですよね~(^^;)

このお話は続きがありますが、「依存は繰り返す」をテーマに、また次回の記事で書きますね(^^)/

さて、話を戻しまして、コーチに「依存し合っている」と言われた私の反応は…

「お互いに依存し合っている」と言われた私の反応は

え?と思いました。
依存という言葉を聞いたことはあるけれど、自分がそうなっているとは考えもしませんでした。
でも言われてみると、そうだそうだと目からウロコでした。


私は父親から「必要とされていない」と感じて生きてきました。

そんな父親が、私のことをとても必要としている。
それを、私は喜んで応えていた。


「必要とされることが、自分の存在意義がある」感覚でした。


必要とされるんだ、生きてていいんだ、という感覚ですね。

反対に父親も、私に依存していました。

困ったときに駆け付ける身内がいないんです。
きっと、私たち家族以外に対しても酷いことをしたんだと思います。

一人ぼっちを感じた父親は、私しかいないと思い込み、少しのことで不安になり私の存在を確認していました。

この状態に疲れていたので、コーチのこの言葉が感動的に胸に響きました。


そして、この後私は夫に頼り始めるのです。

手放すことで夫婦関係が改善していく


自分が「依存」していたことに気が付くだけで、簡単にそれを手放していました。
根本的なところはまだまだでしたが、表面的には何かが吹っ切れていました。


そして、父親のことを一人で作業するには「しんどい」と感じ始めました。

「しんどい」と感じていいんだ

「大変」「助けて」って誰かに言ってもいいんだ



っていう感覚になっていました。


夫も快く引き受けてくれたことで、

私は今度夫に対して感謝の気持ちが生まれました。

この頃から、夫との関係性が良くなってきました。

そして、父親にもはっきりと

できない時は「できないよ」と言うようになりました。

そのように伝えることで父親も変わってきまして、頻繁に電話も来なくなりました。

その後、リハビリと十分な栄養のおかげで、寝たきりだった父親は歩いて買い物に行ける状態まで回復しました。


現在は介護施設に入っており、関係性は良好です。
時々様子を見に行ったり、電話で話をしたりしています。
施設では友達もできたらしく、楽しく過ごしていると父親が話してくれました。

父親を許したのか?


父親を許したのか?と聞かれると


「許したも許していないもない」


と答えています。

過去に暴力を受けた出来事は消えていません。

ですが、その出来事に対しての、

私の「気持ち」が変わったんだと思います。


今、「ありがとう」と何度も伝えてくれる父親に対して、過去の私の傷が癒えていったのかなと感じます。

こんな感じで、私は今は楽しい毎日を過ごしています。
その中には


「私はこんなに楽しい」とか
「私はこんなに素晴らしい」
という気持ちを持っているからかな~、と思うんです。



これらを手放したきっかけは、たくさんの人との関わりの中でできました。


向き合うのは「自分」だけど、たくさんの人と関わることで色々な見方を発見します。


私もあなたと関わる「その一人」になれると良いです(*^^*)
ライン@の問合せlineでは、担当をしています。
良かったら、何でも聞いてくださいね~(^^♪

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ところで…私も参加している「Funスタ夫婦」のコミュニティがあります。

オンラインコミュニティになっていて、たくさんの参加者さんがいます。
このコミュニティの中では、夫婦関係がより良くなるために皆で話し合ったり、研究をしたりしています。
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