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全ては私次第

こんにちは、さくらです。
今回のご紹介は、「一年のキセキ」から、まるちゃんさん(30代・女性)です。
一年、どのような出来事があって、どのように心を変化させていったのか、具体的に書かれています(*^^*)

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私のキセキ…ずっと向き合うのが怖かった。
4月にワンセルフを初めて1年経ってから、ずっと頭に片隅でうずくまってた感じ。

もう12月…。
2年前のクリスマスを過ぎた頃、旦那さんの様子がおかしかった。
聞いても答えない。


でも明らかにおかしい。
問い詰めて聞いた答えは「死にたい」だった。
「死ぬ方法をずっと探してる」
「簡単に死ねる方法を教えて」と言われて、たくさん泣いた。
「泣くから言いたくなかった」と言われて、謝りながら泣いていた。

年が明けて1月20日。
長男の幼稚園の面接の日の夜だった。
大喧嘩をした。
私が「子育ても全然手伝ってくれない。もっと手伝ってよ。」と言ったことをきっかけに…

「手伝っているのに手伝ってないと言われるなら、もう何もしない。
俺はいないものとしてくれ。全部、1人でやってくれ」

と言われ、どれだけ謝っても許してもらえず…
無視され、本当にただ一緒に住むだけの日々が始まった。
食事も私が作ったものは一切食べなくなった。
本当に苦しくて、日記に吐き出したり・
久しぶりに連絡の来た元カレに何となく相談をした。

旦那さんはこっそり私の日記を読み、ケータイを見て、
「離婚しろ。元カレのところにいけ。」
「早く俺を殺せ・死んでやるから安心しろ」
と暴言も吐くようになった。

子どもたちのことも無視し続けた。

ネット検索しながら、たどり着いたざびえるさん。
初めはすごく疑っていた。

苦しくて、誰かに助けて欲しくて、
騙されてもいいと覚悟を決めて
4月にone selfに申し込んだ。


ワークをしながら、ただ誰かに聞いて欲しかった。
誰かに助けて欲しかった。
子どもを連れて参加できる本気キッズの告知が目を入って、
興味ありにポチッとだけした。

参加したいけど不安の方が優っていた。
ひまわりが連絡をくれたことをきっかけに参加を決めた。
長男の発達のことでも悩んでいた私は、
大人の時間にエスペが話し始めたら
涙が流れ出したのをすごく覚えてる。

涙を堪えようとしても、つたっていってとまらなかった。
今思うと、すごくすごく苦しかったんだなぁと思う。



帰りの車も運転しながら、ずっと泣いていた。

この本気キッズをきっかけに長男の見方は私の中で変化した。



旦那さんはどんどんお金使いが荒くなり…
私はどんどん追い詰められていく。

会社の女の子のことを好きだと言っているのが聞こえたり、
死のうとして家で首を吊ろうとしたり・
包丁を渡され「刺して。殺して。」
と何回言われたかわからないけど、色んな事があった。

good&newやワークをしながらもなかなか状態が上がらないことが多かったし、
私はこれだけやってるんだから…
と結果を求めていたと思う。

それでも何かしなきゃ・変えなきゃと思い、
ひまわりとの旅・想いを伝える旅と立て続けに参加した。

ひまわりとの旅が終わったくらいから、

《私だけ・私ばっかり》
と思うことが少なくなっていったと思う。



なんとなく旦那さんの雰囲気でわかる、
旦那さんがして欲しいこと・
それを察してやることに抵抗があった。

「やってやるもんか」とすら思っていた。
でもそれをやることに楽しさや嬉しさを感じるようになって、
少しだけ旦那さんが柔らかくなったと感じれるようになった。

8月には初めてのPトレ。
次いつ参加できるかわからないから、
1つでも多く吸収して感じ取って帰ろうと思って望んだ。
テーマはマイ・クレド。


この時の体験は今も私の支えになっている。

Pトレで感じたものに向かって、
自分はどうありたいかをすごく考えるようになった。

Pトレに参加できたのは旦那さんのおかげだった。
初めて、旦那さんが子どもたち2人を見てくれた日だった。


この日は忘れられない日になった。
少しずつ旦那さんとは話せるようになってきた。
時々だけど、私の分と言って買ってきたものを分けてくれるようにもなった。

子どもたちが「おはよう」といえば、
うなづくくらいの反応はしてくれるようになっていった。
だけど、お金の使い方は変わらず…
死にたいという旦那さんの言動も変わらず続いていた。


9月の本気キッズの時に
初めてエスペに旦那さんのお金のことを相談した。
この頃の私はエスペが好きだけど、ちょっと怖かった。

決してエスペが怖いわけではなく、自分が見透かされる感じ・
鎧を剥がされる感じが怖かった。

相談しながらも、心が抉られる感じがして、受け止めきれなかった。
旦那さんとどう話し合ってもコントロールしようとしているように感じて、
ただ旦那さんの考えを聞こう・
話を遮らないようにしようとする姿勢だけは
忘れないように話し合いを重ねていた。

旦那さんの言動から想いを考え、
1%のポジを払おうとしても、
それが苦しい時もあった。

どうしてもネガが大きくなってしまって、
無理矢理感を感じることもあったけど、
いつかそれが当たり前になると信じて続けた。

2020年1月
ひまかふぇでひまわりの想う私の旦那さん像を話してもらった。
旦那さんの男性性の強さや私たちへの愛情についてを聞いて、
旦那さんにもっと話しかけようと決めた。
相手の反応を見るためにも、
話しかけることは大切だなと思った。

無理されたら?
めんどくさそうにされたら?
とかよくない想像はたくさん出てくるけど、勇気を出して話しかける。

一言だったり、首を傾げるだけだったり、
それでも反応してくれることに感謝した。

4月には一年経ったこともあり、疲れていた。
私が「もう離れたい・一緒にいたくない」と想うようになっていた。

頑張るのも辞めた。


お金の話し合いの時に
「前は嫌だと言ったけど、旦那さんが望むなら離婚してもいいよ」と伝えた。

どっちに転んだとしてもそれでいいと思っていた。


旦那さんの反応はなし。
「離婚したい」とは言わなかった。

でもそれも耐えられず…
「私は一緒にいていいの?」と聞くと
「いいよ」と返事が来た。

この頃は旦那さんは夕飯を食べたり食べなかったり。
「今日のご飯何?」
と聞かれるまで、旦那さんの様子を伺って、
食べるのかどうするのかを気にかけるのがすごく苦痛だった。


「ご飯食べる?」と聞けなかったのは、
関係が悪くなって
「もうご飯はいらない」と言われ…

それでも準備したり、
「食べる?」と聞いていたのだけど…


ある時、
「食べないっていったよね?いちいち聞くな」
と言われて、怖くなり・もう傷つきたくないと思っていたからだった。

「素直に聞いたらいいんじゃない?」
と心の中の私が言ってくれてた。


旦那さんがどんな反応をしたとしても、
私が傷つくことなんてないんだよ・否定されたわけじゃないんだよと自分の中で繰り返して、

「ご飯食べる?」と旦那さんに聞けるようになった。

旦那さんに気を遣って無理をする自分が
少しずつ小さくなっていった。



食べないと言われても気分じゃないんだと思えて、
落ちることもない。

様子を伺っている時間もないから、
時間を有意義に使える。


少しずつ旦那さんとの関係が
変化しつつあるのを感じれるようになっていった。

夏頃になると旦那さんとの関係性が悪いと感じなくなっていた。

その1番は子どもたちがパパとの時間をたくさん持つようになったことが大きいとおもう。
旦那さんの休みの日には
「パパのところに行ってくる」と言って、
お絵かきをしたり一緒に遊ぶことが多くなった。

今までは常に子どもたちと3人だったから、
少し寂しくなったりもしたけど、
喜びが大きかった。

私が子どもたちを見てほしいとお願いすれば見てくれるし、
育児の相談も少しずつできるようになっていった。
だけど、何か一歩足らないような感覚があり、
それが何かがわからなかった。

そのヒントが欲しくて9月のPサロンに初めて参加した。

良い妄想を繰り返すこと
・私が何を考えながら過ごすかによって伝わるものが違うことを教えてもらい、帰りの車から実践した。

この日も旦那さんが次男を見てくれていた。
旦那さんに対して、
お休みなのに申し訳ないと感じていたけど、
優しい旦那さんでありがたい・旦那さんのおかげで出かけられるにチェンジした。

そこからは日々の積み重ね。
暇さえあれば、楽しい・嬉しい妄想のリピートタイム。

繰り返すうちに少しずつ変化していったのは、
私が子どもたちを叱っている時。

今までは旦那さんは我関せずだった。
子どもたちが話を聞いていないと私が感じていると
「ママの話聞いて」
と言ってくれたり、助け舟を出してくれることが増えていった。

相談する時も以前はゲームをしながらだったけど、
今はケータイを置いて相談に乗ってくれる・
あれほど死にたいと言っていたのに言わなくなった。
(心の中では思っているらしいけど)

それも自然と変化してあったように感じる。
10月には、とうとう支払いができずにクレジットカードが強制解約になった。

それに伴う支払いが私は不安で…


お金のことで初めて旦那さんの前で号泣した。
この時、今までは私が何とかしなきゃと思って動いてきたし、
話し合いをしていたけど、
もっと旦那さんを頼ったら良かったんじゃないか、
・そうしたら違ったかもしれないと思っていて、それを念頭において旦那さんを責めたいわけではないこと
・ただただすごく不安なこと
・でも一緒に解決したいこととかを伝えながら話し合いをした。

旦那さんの力を借りることで、私は気持ちの面で楽になった。



しばらくして、ずっと売ると言って売らなかったガンプラを整理して売ってくれた。感謝しかなかった。

それでもやはり支払いが苦しくて…
「ゲームの課金を減らしてくれているのはわかるけど、もう半分くらいにしてほしい」とお願いすると
「課金できないようにした」と言ってくれた。

それからは旦那さんが家計のことを気にかけてくれているのが、よくわかるようになった。

日々の中で旦那さんへの感謝をたくさん感じれるようになった。



そして今、LYLを学んでいる途中。

色んな人に支えられていると感じる。
自分の感情が揺れ動くこともたくさん感じられるようになった。

旦那さんとは新しくいい関係を築いている途中。


今もいい関係だけど、私はまだ旦那さんが私を傷つける人と見ることが多い。
それを家族を大切に想い、行動できる人と思えるようにシフトチェンジ中。
たくさんのありがたみを感じて、旦那さんの見え方を変えていく。

全ては私次第。



私自身の幸せのために、そして家族の幸せのために進んでいく。
あまり変化がないように感じていたけど、2年間を振り返ったら…

たくさんの変化を感じれた。
まだまだ途中。これからも自分のペースで進んでいこう。

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まるちゃんさん、ありがとうございました。

投稿の中にある「全ては私次第」の言葉に、すべてが詰まっている気がします。
自分と向き合ってきたからこその、心からの言葉なのだと感じました。

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